2018年12月29日土曜日

わたしの母の話

光文社さんのウェブ媒体「本が好き」で、ジャーナリストの小川たまかさんが連載されている「母が生きてきた時代」に、わたしの母の話も取り上げていただきました。


事実確認のために何度か母と話しましたが、母の一人の人間としての生き方とか、生きる姿勢とか、葛藤とか、そういったことにわたしが如何に関心を払ってこなかったか、よくわかりました。お母さんは、子どもにとってはあくまでも、お母さんだから。今回話を聞いて、あ、そういうことだったのか・・と合点が行くことも多々ありました。
母の父、つまり、わたしの祖父はトラック諸島で戦死しました。生まれてくる娘の顔を見ることもなく。祖母が一生懸命働いて、母を育てて、母も自立心を持って上京し、勉強したのに、就職の段で「父親がいないから」差別されたとは・・・。当時は男女雇用機会均等法がなかったので、就職における女性差別はもちろんありつつ、女性だとさらに「ちゃんとしたご家庭のお嬢さんか」というのが暗にクライテリアとしてあったようです。「お国のために」亡くなったのにね。
 
 ただ、母の話の中に出て来たのは、まっとうな、ちゃんとした、心ある大人たちでもありました。大学時代の家庭教師先は、某大企業の顧問弁護士さんのお宅だったそうで、その弁護士さんも戦地に赴いていたので、戦争遺児である母に対して、家族ぐるみで本当によくしてくださったそうです。宣伝会議の夜のコピーラーター講座に行きたかったけど、お金がない。その時に編集長(?)が「受付をしてくれれば、受講料無しでそのまま受講しても良いよ」と取り計らってくださったこともあったそうです。また、道後の繁華街の近くが通学路で、子ども心に、この女の人たちのおかげで町が潤っているはずなのに、なんで皆差別的な扱いをするのだろうと疑問に感じていたらしく、学校の先生(若い女性だったそうです)に、「なぜ、こんなことがあるのでしょうか?」と聞いたら、先生はジッと黙って、最後に「先生にもわからない。だから、なおちゃん、よく勉強して、それがなぜか、わかるようになって。そういうことがないような社会にして」と言われたそうです。
しかし、人から見たらマイナスの状況でも、常に、自分の道を探し出し、行動を起こすところはすごいなと思いました。
早稲田での話とか、もっともっと面白い話がたくさんあるので、自伝を書いて欲しいな・・。1944年生まれ、戦後の民主主義教育を出発点に、地方から出て来て、昭和・平成をたくましく生き抜きました。で、まだまだ、元気に生きてくれそうです。

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